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地方紙に映る1930年代
―『山形新聞』の味の素広告を事例に―
1930’s mirrored on a local paper
-from Ajinomoto advertisement on “Yamagata Shinbun”-槇 麗
MAKI Urara本研究では、1930年代における『山形新聞』の味の素広告から、新聞広告に映る世相を明らかにした。
昭和恐慌で幕を開けた1930年代初期の様子は、キャッチコピーに「經濟」という言葉で表れている。恐慌からの脱出をみた1933年には「景品付き特売」が激増するなど、金銭的に余裕が出始めた台所事情が窺え、日中戦争が勃発した1937年以降のキャッチコピーには国家総動員法に関わる「人的資源」という意識が垣間見えた。また、戦時体制により経済統制が敷かれた1939年には再び「經濟」の言葉が広告において頻出するようになった。
人物設定が多彩な男性の広告図案からは、新聞読者層の中核を占めていた男性の存在が窺え、主婦がモチーフとされた広告には「夫と家庭を支える良妻」としての女性像が具現化されていた。
また、掲載回数に着目すると、1935年~1937年の「新聞広告の黄金期」とされる時期において『山形新聞』への広告の掲載が少ないことがわかった。そして、日中戦争以降は衰退の一途を辿ったとされる味の素の新聞広告が、『山形新聞』では1939年に掲載回数が増加していた。このことから、全国紙を中心とした一般的な広告史には見られない傾向を、地方紙から指摘した。
加えて本研究では、全国紙である『東京朝日新聞』の分析も同じように10年分行った。『東京朝日新聞』には、『山形新聞』には見られなかった英字のキャッチコピーや西洋人のフォトモンタージュが使用された広告が見られた。ここから、均質的な大衆社会を目指しながらも「地方」と「中央」には依然として差異が存在した1930年代の側面を、新聞広告の立場から明らかにした。Keywords
山形新聞、東京朝日新聞、新聞広告、1930年代、味の素
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