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出羽国村山郡観音寺村における山野利用の変遷
Changes in the use of mountains and fields in Kannonji Village,Dewanokuni Murayama-gun小関 美紗
KOSEKI Misa本研究は、出羽国村山郡観音寺村(現山形県東根市観音寺)における山野利用の変遷を明らかにするものである。先行研究では観音寺村は夫食米不足のため、煙草などの特産物や薪の販売等で得た代金で夫食米を購入していたことが指摘されているが、現金獲得手段であった山野利用については追究されていない。そこで、観音寺村の山野利用について明らかにし、新たな村の様相を描き出すとともに、夫食不足への対応の新たな側面を見出したい。その際、新田開発に注目することで、新田開発という視点を含めた出羽国村山郡の山野利用に関する研究の集成に貢献したい。
観音寺村は恒常的な夫食不足や小規模零細百姓の増加もあるなか、宝暦5(1755)年から嘉永6(1853)年までに5回の飢饉や旱魃に見舞われた。これにより夫食需要が増加し、夫食獲得のための新田開発が活発になっていった。また、安政3(1856)年に蝦夷地松前藩東根領となったのを機に始まった現物地代強化策に米の購入で対応していたため、貨幣獲得のための山野利用も維持しなければならなかったと考えられる。そのため、かねてより生活の軸であり貨幣獲得手段の山野利用を守りながら、新田開発がおこなわれた。これにより、観音寺村の山野は、山野資源利用の場所と夫食獲得の場所という2つの側面を色濃く持つものになっていき、観音寺村にとって生活に必要不可欠な存在であり続けた。Keywords
出羽国村山郡観音寺村、出羽国村山郡観音寺(岡田家)文書、山野利用、新田開発、夫食不足
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