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公儀普請の採石活動と組織
―大坂城石垣石丁場跡小豆島石丁場跡における採石作業の復元―
Quarrying Activities and Organization of Kogi-fushin Stone Walls
Real Image of Quarrying Work of Stone Wall in the Early Edo Period of Osaka Castle From Ruins of Shodo-shima

北野 博司
KITANO Hiroshi

香川県小豆島には公儀普請により築城された徳川期大坂城の石丁場跡が存在する。本稿は黒田家が採石した岩谷石丁場跡の残石を考古学的に分析し、史料や民俗技術を参考に往時の採石活動と普請組織の実態に迫ることを目的とした。
掘削途中の矢穴列がある石材を複数検討した結果、1石の上でノミとセットウを持った石工が4人ないしは8人が同時に作業をしていた姿が復元された。家中組のなかに4人を基礎単位とする「石切組」を編成し、これを石丁場での諸作業に柔軟に運用するような労働管理がなされていたのではないか。1本の矢穴列はメンバーで均等配分するのが基本とみられるが、実際には技量に差があり配分数には多少の差もあった。このような労働編成は競争と技術の平準化を促し、労働生産性を上げていく効果があったものとみられる。
江戸初期の公儀普請では、公儀普請奉行のもとに大名組や家中組が重層的に編成され、各大名らは役高に応じて工区を分担しつつ、出来栄えと速さを競うことで大規模プロジェクトを効率的に達成していった。封建社会の主従関係に基づく割普請システムと非熟練労働の大規模協業という労働編成が、石垣石の調達という公儀普請の末端にまで貫徹していた可能性を指摘した。

Keywords

公議普請、労働編成、徳川期大阪城跡、石丁場跡、石垣、矢穴

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