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最上期山形城絵図の世界

山形城と城絵図の基礎知識
地下に埋もれた最上期の山形城
 今から400年余り前、都市山形の礎を築いたのは室町時代に出羽国を統治した斯波氏の末裔―最上家でした。霞城公園の東大手門を入ると最上義光の騎馬像があり、山形城は最上家のお城として市民に親しまれています。義光は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らが天下を競った時代に生きた戦国大名の一人で、この時に山形城は近世城郭としての形を整えました。三重の水堀や石垣、瓦葺建物でお城を荘厳化し、城下町を整備して町割りを行いました。その始まりは史料から文禄元年(1592)頃とみられています。最上家が元和八年(1622)に改易※1となり、その後、山形城に入ったのは譜代大名の鳥居忠政でした。現在見る山形城の堀や土塁、城門等の骨格は鳥居家の時代に出来上がったもので、最上時代の山形城の姿は長く謎でした。
 しかし、近年の発掘調査によって鳥居家以降、幕末まで続いた山形城の地下から最上期の堀跡や御殿跡、屋根を飾っていた金箔瓦などが出土し、徐々に往時のお城が顔をのぞかせています。
発掘資料は断片的ですが、今は見られない最上期山形城を知るものに「城絵図※2」があります。絵図にはお城の縄張り※3を特徴付ける堀や土塁、門、城下町の街路や屋敷、河川や水路など豊富な図像情報が描かれます。また侍町や足軽町、町人町といった居住区分や、侍名、寺社名など豊富な文字情報が書き込まれています。
 本書は、最上期の山形城と城下町を復元するために不可欠な「城絵図」の世界を皆さんに紹介するために編集しました。山形城絵図の研究は長い蓄積がありますが、これまで大きな絵図を一覧できる写真や難解なくずし字を翻刻したものはありませんでした。私たちは城絵図が研究資料としてさらに活用されるよう所有者の協力を得て、オルソ画像注4とトレース図を作成しました。これに簡単な解説を加えて編集したのが本書です。詳しく調べてみたい方は巻末に参考文献を掲載しましたので参照してください。

二〇二三年五月二〇日 発行
発行者  東北芸術工科大学歴史遺産学科
編 集  最上期山形城絵図再考プロジェクト

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