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令和6年度文化財保存修復研究センター紀要 長谷洋一・笹岡直美

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畑治郎右衛門と善寶寺五百羅漢堂諸像
Kyoto Buddhist sculptor Hata Jiroemon and the Buddhist statues at Zenpoji Temple’s 500 Arhat Hall

長谷洋一 HASE,Youichi
笹岡直美 SASAOKA,Naomi

京都仏師の畑治郎右衛門の銘記をもつ作品は、善宝寺五百羅漢堂の仏像から10例が確認できた。畑治郎右衛門の作例はこれまで12例を数える。また龍谷ミュージアムの展覧会で紹介された「畑家系図」では、初代定玄から15代定康まで続いたと記されており、善寳寺五百羅漢堂の仏像を制作したのは、11代教圓と考えられる。畑治郎右衛門は江戸時代末期に浄土真宗本願寺派の本山仏師であったとみられ、また明治時代には京都美術彫刻業組合の副組長になるなど京都仏師の中でも中心的な仏師であった。
畑治郎右衛門は「大仏師系図」に七條左京家31代棟梁の康朝の弟子として福地善慶とともに名が記されるが、七条左京家が衰退していくなかで畑治郎右衛門をはじめとする京都仏師が東北地方で造像活動を展開していく。善寳寺五百羅漢堂の仏像製作もその一環と考えられる。
善寳寺五百羅漢堂は安政2年(1855)に棟梁本間勘蔵、副棟梁・彫刻を劔持嘉右衛門により建立している。20歳代後半の劔持嘉右衛門は、京都の畑治郎右衛門について彫刻技術を習得していた。その関係が機縁となって畑治郎右衛門が善寳寺五百羅漢堂の仏像を手掛けることになったと考えられる。
 
Jiroemon Hata, a Kyoto-based Buddhist sculptor, left numerous works, including the Buddhist statues in the Five Hundred Arhats Hall at Zenpo-ji Temple. The “Hata Family Genealogy” states he was created by the 11th generation Kyouen. Hata was a disciple of the Shichijo Sakyo family, and in the midst of the declining Shichijo Sakyo family, he and other Kyoto Buddhist sculptors developed their statue-making activities in the Tohoku region. He was a central figure in the late Edo period (1603-1867) as the head Buddhist sculptor of the Honganji School of the Jodo Shinshu sect and also served as deputy head of the Kyoto Art Sculpture Association during the Meiji period (1868-1912). The Five Hundred Arhats Hall of Zenpo-ji Temple was built in 1855, and the deputy chief builder, Tsurumochi Kaemon, had learned sculpting techniques from Hata Jiroemon when he was young, and it is believed that Hata Jiroemon was responsible for the creation of the Buddhist statues at Zenpo-ji Temple because of this relationship.

Keywords

善寳寺 京都仏師 北前船
Hata Jiroemon  Kyoto Buddhist sculptor

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