総ページ数

P19

ブックの説明

岩手山・平笠岩屑なだれが縄文人に与えた影響
―土地の選択から見る縄文人の災害適応―
Catastrophic impacts of”Hirakasa”debris avalanche disaster
in Iwatesan Mountain,northeastern Japan: Adaptation
for the land use formation through the Jomon periods.

菊池 駿貴
KIKUCHI Toshitaka

約6,000年前の縄文時代早期から前期の間に、岩手山東側で起きた平笠岩屑なだれにより、岩手山北東側部では19km離れた場所にまで岩屑なだれの堆積が確認されている。岩手山周辺では縄文時代早期から前期にかけて遺跡数が増加しているが、その傾向は岩手山の南側の地域に強く見られる事から、岩手山の南側に逃れるような災害適応を取ったのではないかと考えられていた。また堆積層が厚く堆積範囲における堆積層下層の調査が困難であることや、周辺の遺跡に関しても散布地が多く、発掘調査を行っていない遺跡が多い事から物質文化の変化から考察を行う事は厳しい。そのためQgisを用いた遺跡立地条件の違い(標高・傾斜角度・地形分類)から、平笠岩屑なだれに対する災害適応についての考察を行った。対象地域を岩手山の北側・南東側・南側の地域に分け、それぞれの遺跡立地条件を時期ごとに比較したところ北側の地域と南側の地域では立地条件に差異が見られ、南東側の地域ではやや北側の地域に類似する傾向も見られた。特に北側の地域では低地に平笠岩屑なだれが堆積していたためか、他の地域よりも標高の高い場所に遺跡を構える傾向が見られる。また発掘調査を行っており明確な土器型式を持つ遺跡を地域・時期ごとに比較した結果、全域で前期初頭の大木1.2式が出土している。岩手山の南東側・南側の地域では土器の出土のみだが、北側の地域では土器に伴う遺構も検出されているため、平笠岩屑なだれの堆積後も北側の地域で生活をしていた可能性が示唆される。これらの事から岩屑なだれ等の災害の後に遠方へ避難するだけはなく、被災地の周辺の高地で生活を継続していたといえるだろう。

Keywords

災害適応、岩手山、平笠岩屑なだれ、遺跡立地、縄文時代早期・前期

PDFはこちら

PDFはこちらより閲覧できます。